Glyndebourne Festival, Kát’a Kabanová by Leoš Janáček
グラインドボーンに、先日インタビューしたロビン[1]が指揮する『カーチャ・カバノヴァー』を観に行った。友人である新星、アイグル・アクメチーナがヴァルヴァラ役でグラインドボーンデビュー、鬼才ダミアーノ・ミキエレットの新作品、そしてコロナによる去年の音楽祭閉鎖を乗り越えての開幕ということもあり、これほど期待に胸躍らせてロンドンから二時間半の距離を運転したことはない。
ロビン率いるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団は、ヤナーチェクのピンと張り詰めた音楽を力強く演じる一方、民謡音楽風で抒情的な部分は人間の内面をそっと覗くかのような優しい音色を響かせ、ロビンが語ってくれた二通りのスタイルを見事に使い分けた。ミキエレットの演出はカーチャの内面を舞台演出によって表現することに重きを置いていた。ヴォルガ河岸に佇む田舎町の閉鎖社会で姑に監視されながら生活するカーチャを、天井から下がる鳥かごに閉じ込められた天使で表している。そして白い壁が取り囲むセットはカーチャの心を威圧する町の閉塞感を、鳥かごの中の大きな岩は心に重くのしかかる彼女の罪悪感を象徴していた。ただカーチャの心の描写のみに絞った舞台に実際、私は飽きてしまった。のぞき見根性に満ち溢れ杓子定規な行動をとる村人や、ヴォルガ河の様子などを取り入れたら観客を惹きつけ続ける事ができたのでは、と思った。しかしながら、最後にカーチャがヴォルガ河に投身自殺した際、そのシンボルとして全ての鳥かごが天井から落ちた演出は衝撃的で効果的だった。
歌手陣の中でも、大人しくて外圧に翻弄されながら押し潰されるカーチャを演じたカテジナ・クネジコヴァは秀逸で、自由に憧れ「小鳥のように飛びたい」と歌う声は澄んでいて銀鈴のようだった。アイグルの声は水飴のように滑らかでとろけるように甘い声が実に魅力的、そしてカーチャの浮気をそそのかす場面がコケティッシュで印象的だった。
この日は晴天に恵まれ庭に咲き乱れる花がいつもにも増して綺麗だった。そんな中で友人たちとディナーしながらあれやこれやとオペラ談義。今年はグラインドボーンが復活してしみじみ嬉しいと感じた。幕後、アイグルに会いに行ったら、今シーズンはロイヤル・オぺラ・ハウス(ROH)で同じくミキエレット演出の『カヴァレリア・ルスティカーナ』にカウフマンやラチヴェリシュヴィリと共演し、他にもオリヴァー・ミアーズの新作『リゴレット』に出演しにROHに戻ってくるという。彼女の活躍が心嬉しく期待をよせている。
[1]グラインドボーン音楽祭の音楽監督、ロビン・ティチアーティ氏。ACT4 101号、「ロンドン便り」p12-13参照。
2021年7月25日発行のACT4、103号「ロンドン便り」にて掲載
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