Semyon Bychkov, BBC Symphony Orchestra; Shostakovich "The Year 1957"
Wednesday 10th April 2019 at Barbican Hall
ショスタコーヴィチの交響曲第11番は『1905年』という標題通り、この年にサンクトペテルブルクで起こった「血の日曜日事件」を題材にしている。ロマノフ朝・皇帝ニコライへの請願のためペテルブルク宮殿に向けて行進を行っていた無防備な民衆に対して、軍隊が発砲し、1000人以上を射殺した事件だ。ショスタコーヴィチが作曲したのは1957年だが、その前年に起こったハンガリー動乱に対するソ連軍による過酷な弾圧を非難するために書いたとも言われている。「宮殿前広場」と名付けられた第1楽章は嵐の前の静けさのような薄気味悪さが印象的だ。危険が徐々にのしかかるように迫ってきて第2楽章で虐殺の場面が繰り広げられる。金管楽器が弾丸が激しく飛び交うさまを表現し、ティンパニーとタムタムそしてシンバルの打楽器が切迫感に輪をかける。第3楽章は死者に捧げるレクイエムで、ヴィオラが人々の死を嘆くように共産主義の革命歌を奏でるパートが心に染み入る。この事件を受けて各地で始まった民衆の抵抗運動がロシア革命につながっていったという史実を受け、第4楽章は楽章は帝政ロシアに対する「警鐘」を表している。第2楽章に劣らぬ力強い音楽で表現され、全曲の頂点を迎える。指揮者は昨年よりチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼音楽監督を務めるセミヨン・ビシュコフで、第1と第3の緩徐楽章、そして第2と第4楽章はの急速楽章、その違いと変遷を、丁寧で洗練された指揮で、まるで波が寄せては引き、再び押し寄せてくるかのように、見事に表現していた。ソロの活躍が目立つこの交響曲はBBC交響楽団のそれぞれの楽器奏者の質の高さを如実に表す反面、虐殺の場面ではすべてのオーケストラのメンバーたちが力を合わせて演奏し、その迫力たるや手に汗握るほどで事件当日の恐ろしさがよみがえるようなパワフルな演奏だった。
プログラムの前半に演奏されたピアノ協奏曲第2番は1957年、ショスタコーヴィチが交響曲第11番の作曲に取り掛かる直前に息子のマキシムの為に作曲したという。交響曲11番とは裏腹に、軽快で聴いていてリラックスできる曲だ。アレクセイ・ヴォロディンが軽やかでありながらも計算されたタッチで弾きこなした。
演奏後、友人の紹介で楽屋でビシュコフ氏と面会したが、彼は人間味に溢れた人物であった。演奏後も舞台の上でオーケストラのメンバーと一人ずつ丁寧に握手をしていたその姿を見ても他人への配慮を怠らない人物であるだろうことは想像に容易い。ショスタコーヴィチの交響曲第11番は残酷な歴史の一ページがテーマであるにもかかわらずなぜか彼の指揮に温かみを感じたのは彼の人柄が醸し出すものだったのかと妙に納得してバービカンホールを後にした。
1st May 2019付 J News UK (www.j-news-uk.com)に掲載
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